史跡 増山城跡 の記事

古絵図から見た増山城 その5
⑤角櫓(隅櫓) 昭和六十二年~平成三年の踏査の過程で、「二之丸」東北角及び西南角の二か所に明瞭な方形の櫓台遺構が残ること、さらに「安室屋敷」から空堀を隔てた北側のL郭東南角に方形を呈する、やや小高い所が一か所認められてい...

”古絵図からみた増山城” その4
④鐘撞堂 鐘撞堂にあたるのは、無常(H郭)のある尾根の南端部に残る櫓台状の遺構であり、前回の踏査までは、ほとんど注目されることがなかった。上部は7×6mの広さで、周囲は切り立てられ、東側に設けられた登り道によって、登り...

古絵図から見た増山城 その3
③城内の郭群 山上に設けられた郭としては、「一之丸」「二之丸」「三之丸」「無常」「安室屋敷」の地名が絵図中に見られる。これらの郭は江戸時代以降、一貫して場内の主要な郭とみなされ、それらの地名が付され、継承されてきたのだろ...

古絵図から見た増山城 その2
② 水源 山城にとって、水は大切な命の綱である。どんな堅城でも、水を絶たれば籠城戦を戦えず、いずれ陥落する。幸い増山は城域の内外に豊富な湧水や沢水を有し、水源には恵まれている。このことが増山城を山城の代表例とする理由の一...

古絵図から見た増山城
今回から増山城跡について、少しでも参考になることがあればと思い『増山城跡総合調査報告書』より小分けにして、興味のあるところを抜粋していきたいと思っています。 “天保十一年作成の古絵図から見た増山城” ① 登り道 城跡に登...

為景塚と能景塚 その3
さて、いよいよ本題です。 長尾能景塚 (宇佐美塚) 能景塚は径10mほどの小さなマウンドをもった墳墓です。墳頂には五輪塔などの中世石造物の残骸が残されています。同じ頼成新のK宅には宇佐美塚から出土したという五輪塔が安置さ...

為景塚と能景塚 その2
(↑白江秋広1992「頼成新の塚への一考察」『土蔵』第4号) 上の図をご覧ください。 図中の「長尾塚」が現在の為景塚、「宇佐美塚」が能景塚のこと。明治6年の段階では、このように呼ばれていたことがわかります。 それでは、い...

為景塚と能景塚 その1
会員さんからお問い合わせがあったので、「長尾為景塚」と「長尾能景塚」のことについてご紹介したいと思います。 為景塚・能景塚について苦手意識をもっているアナタ!ぜひご一読のうえ、ガイド・スキルのアップにお役立てください! ...

神保夫人入水井戸
5/13金曜日、増山城跡へ行ってきました。前日の雨のおかげでしょうか、神保夫人入水井戸に満々と水を湛えていました。何度も増山城跡には登っていますが、初めての出来事です。曲輪の会 柄崎

増山城跡の位置
より大きな地図で 増山城跡の位置 を表示 増山城跡の所在地は、富山県砺波市増山地内です。 「増山城跡の場所がよくわからない」と言われるので、グーグルマップで増山城跡の位置を示してみました。国道359号...