為景塚と能景塚 その1

会員さんからお問い合わせがあったので、「長尾為景塚」と「長尾能景塚」のことについてご紹介したいと思います。

為景塚・能景塚について苦手意識をもっているアナタ!ぜひご一読のうえ、ガイド・スキルのアップにお役立てください!




まずは、日本人名大辞典から2人の武将についておさらいしておきましょう。


長尾能景

室町-戦国時代の武将。
長禄(ちょうろく)3年生まれ。越後(えちご)(新潟県)守護上杉房定(ふささだ),房能(ふさよし)父子の守護代をつとめた。永正(えいしょう)元年関東管領(かんれい)上杉顕定をたすけて武蔵(むさし)河越城(埼玉県)を攻める。越中(富山県)で一向一揆(いっき)とたたかい,永正3年9月19日戦死。48歳。


長尾為景

戦国時代の武将。
長尾能景(よしかげ)の子。上杉謙信の父。越後(えちご)(新潟県)守護代。永正(えいしょう)4年(1507)守護上杉房能(ふさよし)を敗死させ,その養子定実(さだざね)を守護とする。さらに房能の兄,関東管領上杉顕定(あきさだ)を攻めほろぼし,一国支配,戦国大名をめざす。晩年は国人衆との抗争をくりかえした。天文(てんぶん)11年ごろ死去したらしい。通称は六郎。



ポイントは、二人は親子であるということ。しかも為景が戦国の雄、上杉謙信(長尾景虎)の父であり、能景が祖父であるということ。ときどきゴッチャになるので、謙信→為景→能景の順番をシッカリ覚えておきましょう。


つづく


曲輪の会事務局