古絵図から見た増山城 その5

⑤角櫓(隅櫓)
 昭和六十二年~平成三年の踏査の過程で、「二之丸」東北角及び西南角の二か所に明瞭な方形の櫓台遺構が残ること、さらに「安室屋敷」から空堀を隔てた北側のL郭東南角に方形を呈する、やや小高い所が一か所認められていたので、古絵図によってこれら三か所すべてが角櫓の櫓台であったことが裏付けられた。この他、「三之丸」の東南角にもう一か所「角櫓」の記入がある。この郭の東側には、一段低く張り出した平坦面の角にあったとみられるが、ここは上の平坦面も含め、後世の開墾などによって削平を受けているようで、このため、地表観察では全く気がつかなかったわけであり、絵図によって初めてその存在が知られたものである。
 ともかく、古絵図によって城内の四か所に角櫓が存在したことが判明した。この内、三の丸を除く三か所で遺構の存在が確認された。これらの櫓はいずれも城内の要所に設けられており、それぞれ防御の面で重要な役割を果たしたとみられる。たとえば、二の丸西南角の櫓は、主郭(本丸)にあたる同郭の出入り口を固めるとともに、西の一の丸や南の無常方面からの攻撃に備えている。また、おなじ二の丸東北角の櫓は、安室屋敷や三の丸に最も近い位置にあり、直下で二本の空堀がT次形に交差する、重要な所に面している。L郭の東南角の櫓についても、やはり直下で二本の空堀がT字形に交差する所に位置している。そこは南の安室屋敷との間を結ぶ土橋を見下す所でもある。もう一か所、三の丸東南角の櫓は同郭東側の空堀を見下すように張り出しており、空堀を乗り越えて来る敵を上と側面から射撃することが可能である。また、ここからは東側の深い谷間を隔て、向いの山並を望むこともでき、東方への備えとして重要な位置を占める。このような角櫓を要所に配置していること自体、まさに増山城の代表的な特色であり、山城としての完成期に近づいた姿を端的に示すものと言える。(増山城跡総合調査報告書より)

曲輪の会 事務局