為景塚と能景塚 その3

さて、いよいよ本題です。

長尾能景塚 (宇佐美塚)

能景塚は径10mほどの小さなマウンドをもった墳墓です。墳頂には五輪塔などの中世石造物の残骸が残されています。同じ頼成新のK宅には宇佐美塚から出土したという五輪塔が安置されています。かつて、鎌倉時代の珠洲焼の破片が見つかったこともあります。

能景の討死に関して、古文書の『本土寺過去帳』には「越中ニテ打死」、『反町十郎氏所蔵文書』には「般若野合戦討死」とあります。いずれも一級史料で信頼がおけるので、能景は頼成新あたりで敗死したのは、ほぼ間違いないでしょう。

千光寺には能景の位牌もありますし。

長尾為景塚 (長尾塚)

こちらにも小さな高まりをもったマウンドがあります。ただし、為景の没年には諸説ありますが、天文5年(1536)12月24日に春日山城下で没したというのが定説になりつつあります。ですから、般若野で亡くなったというのは無理があるので、長尾塚を為景塚とするのは史実ではありえません。ちなみに富山市婦中町牛滑にも為景塚が残されています。各地に為景塚が残っていることから、「為景と何らかの関係があった場所」と理解しておいたほうがよさそうです。

また、この塚は砺波市のふるさと文化財に指定されています。

為景塚、能景塚に関するお勉強は以上です。このブログ記事で予習をしたら、実際に現地を訪れてみることをおススメします。

これで塚に関する知識はバッチリですね!

曲輪の会事務局