基本情報 の記事

増山城内の伝承地
「又兵衛清水」 「天保11年杉野家絵図」に「字又兵衛清水」とある。それを写したと思われる。「砺波郡増山村古城跡の図」に「字又兵」とある。『越登賀三州志』『三州地理志稿』『越中遊覧志』等には、「古井」が多いことが記されてい...

増山城にかかわる伝承
増山城にかかわる面白い伝承が『増山城跡総合調査報告書』に載っていますので紹介します。 落城に関する伝承 ①白米で馬を洗い、敵をあざむく話 上杉謙信が増山城を攻めた時、上杉勢は城を取り囲み、水の供給を絶ったが、なかなか城...

しょう姫ちゃん
第3回戦国祭りのポスターのイメージキャラクターになっている“しょう姫ちゃん”について少し紹介しましょう。 中川宗半(光重)の妻蕭(しょう)は、宗半生誕の翌年、永禄6年(1563)に生まれた。父は加賀百万石の祖前田利家...

昇太さんがテレビで!
ついに春風亭昇太さんが、28(日)の“笑点”で言ってくれました !! 「先日富山県砺波市の増山城に登って来ました。」 「切岸がとても高かった。」 7月に昇太さんと一緒に増山城跡に登った時、「是非テレビで言って...

増山城跡の様子
久し振りに一般コースを、雨の合間に見てきました。 大手門の杖、青竹の新品に、又草刈もしていただき綺麗になっています。 安室屋敷に仮の梯子を設置、屋敷跡に入れます。 神保夫人入水井戸、雨水で満タンです。こんなのはめったに...

古絵図から見た増山城 その5
⑤角櫓(隅櫓) 昭和六十二年~平成三年の踏査の過程で、「二之丸」東北角及び西南角の二か所に明瞭な方形の櫓台遺構が残ること、さらに「安室屋敷」から空堀を隔てた北側のL郭東南角に方形を呈する、やや小高い所が一か所認められてい...

”古絵図からみた増山城” その4
④鐘撞堂 鐘撞堂にあたるのは、無常(H郭)のある尾根の南端部に残る櫓台状の遺構であり、前回の踏査までは、ほとんど注目されることがなかった。上部は7×6mの広さで、周囲は切り立てられ、東側に設けられた登り道によって、登り...

古絵図から見た増山城 その3
③城内の郭群 山上に設けられた郭としては、「一之丸」「二之丸」「三之丸」「無常」「安室屋敷」の地名が絵図中に見られる。これらの郭は江戸時代以降、一貫して場内の主要な郭とみなされ、それらの地名が付され、継承されてきたのだろ...

古絵図から見た増山城 その2
② 水源 山城にとって、水は大切な命の綱である。どんな堅城でも、水を絶たれば籠城戦を戦えず、いずれ陥落する。幸い増山は城域の内外に豊富な湧水や沢水を有し、水源には恵まれている。このことが増山城を山城の代表例とする理由の一...

古絵図から見た増山城
今回から増山城跡について、少しでも参考になることがあればと思い『増山城跡総合調査報告書』より小分けにして、興味のあるところを抜粋していきたいと思っています。 “天保十一年作成の古絵図から見た増山城” ① 登り道 城跡に登...