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増山城下町土塁跡 

公開日時:2011年05月19日 08時54分 このページを印刷する

御増山城下町土塁跡(ますやまじょうかまちどるいあと)

昭和56年9月9日・市指定
砺波市増山

 増山城下町土塁跡は増山城の防御施設として、増山城の対岸にあたる和田川左岸に築かれたものです。
 増山城の城下町は、城の西麓、現在の和田川ダムに水没している部分と推定され、蛇行する和田川の左岸段丘が南東へ張り出した先端部の通称「下町」が城下町の西口にあたり、この「下町」を防御し、西側に備えて段丘を区画するように、土塁と空堀(からほり)が長さ80mにわたって残っています。
 土塁は「土井(どい)」と呼ばれており、その西側、つまり外側に空堀があり、昭和52年の圃場整備事業に伴う発掘調査で、土塁幅約10m、堀との比高差2m、堀幅約10mの規模をもつことがわかりました。古い地籍図などから、この土塁と空堀は残存部長さの倍近く、段丘幅いっぱいに延びていたとみられます。土塁のほぼ中央をぬけ、城下町へ続く「下町大道」が城への主要道路と考えられ、ここに木戸が設けられていたと思われます。
 この土塁と空堀が築かれたのは、増山城が佐々成政の越中西部の拠点としてここを本格的に修築し、加越国境をはさんで前田利家と対峙した天正年間ごろとみられます。

地図(地図)

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