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杉木新町町立願書 

公開日時:2011年05月19日 08時18分 このページを印刷する

杉木新町町立願書(すぎのきしんまちまちだてねがいしょ)

昭和43年7月24日・市指定
砺波市花園町(砺波郷土資料館)

 江戸時代の初め、慶安2年(1649)の正月、砺波郡杉木村二郎兵衛を筆頭に、太郎丸村・十念(年)明村・深江村・中神村・北高木村等近在の百姓16名が連署して、中田町にいた奉行の国府新助宛に提出した町立願い書の原本で、藩はこれに長九郎左衛門ら家老6人が許可の裏書をしています。砺波市の中心市街地を形成する出町(杉木新町)の起源をきわめて端的に示す重要な文書とされています。
 砺波郡の町立のうち山麓の町(城端・福光・井波)は中世に生まれ、平野部の町は寛永17年(1640)の戸出、慶安2年の杉木新町、翌慶安3年の福野、同4年の福光新町、万治3年(1660)の津沢等、この頃に相ついで町立されました。本文書は町方においては村御印(むらごいん)(江戸時代前期、加賀藩や富山藩が村別に下付した村高・村免を記した年貢割付状)等とともに、代々の町役区長が厳重に保管して伝え、後に出町役場の保管となり現在は砺波郷土資料館に収蔵されています。
縦25cm、横105cm。


地図(地図)

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