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厳照寺の梵鐘
公開日時:2011年05月19日 08時18分 このページを印刷する
厳照寺の梵鐘(ごんしょうじのぼんしょう)昭和43年7月24日・市指定砺波市福岡 この銅製梵鐘(ぼんしょう)は寛永15年(1638)旧砺波郡西保(高岡市西部金屋)の鋳物師によって鋳造されたことが銘文によって知られています。鐘身96cm。竜頭(りゅうず)(釣り鐘の頭部につけた梁にかけるためのつり手)21cm、口径70cm(外径)、竜頭の鼻筋と撞座(つきざ)は一直線上。上下帯には唐草模様がなく、乳は4段4列、まだ江戸時代的な過飾は現れず、製作は寛永末ですが、様式は室町期のものを踏襲しています。 高岡市の金屋町は、慶長16年(1611)に前田利長が西保の鋳物師を招いて開いた町で、この鐘の存在によって高岡金屋の成立後も西保が鋳物師の集落として栄えていたことが分かります。 厳照寺は井波瑞泉寺と共に本願寺五代綽如(しゃくにょ)の開基といわれ、もとは現在の庄川の河中にあたる所にありましたが、天正13年(1585)庄川東遷以来その寺地をおかされ、一時権正寺村へ移り、その後正保4年(1647)加賀藩から百間四方の拝領地を受け現在地に移りました。この梵鐘は権正寺村に在住当時の製作です。 4区の池の間に次の銘文が雄健に陰刻されています。 (第一区) 開彼智恵眼 滅此昏盲闇 閉塞諸悪道 通達善趣門 (第二区) 夫計一切衆生起三 垢業深雲未見法性 覚月今當以三皈発 顧鐘響遙超過梵天 (第三区) 当時之大顧任徃昔之例 尋古得新是併以仏法髄 縁之加力諸檀那令助力所 成就也 尓時寛永拾伍戊寅暦 初冬廿日 越中国利波郡般若野 厳照寺常住物 (第四区) 同郡内 西保 藤原朝臣家次 大工 仁衛門作 同 仁良右衛門
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