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千光寺御幸門
公開日時:2011年05月18日 10時43分 このページを印刷する
千光寺御幸門(せんこうじみゆきもん)平成3年6月13日・市指定砺波市芹谷 真言宗千光寺の通用門で、高岡市の加賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺瑞龍寺の行馬門を明治5年に移築したものです。昭和44年5月、全国植樹祭に行幸された昭和天皇がこの門を通られたので、御幸門(みゆきもん)と呼ばれるようになりました。 門は一間薬医門(いっけんやくいもん)(門の形式。本柱が門の中心線上から前の方にずれる。屋根は切妻。桃山時代からはじまるもので、元々は城門の一種で、矢喰が語源ともいわれている)の形式で、切妻造りの屋根は現在桟瓦(さんがわら)葺きとなっていますが、当初はコケラ葺きでした。正面の本柱は小平で正面を幅広く見せ、腰板張りの格子扉をつけ、本柱と控柱は腰貫(こしぬき)、飛貫(ひぬき)でつなぎ、本柱間に角形大冠木(かぶき)、控柱間には丸太梁を架ける。さらにこの上には3本の男梁を直交させ、正面側を出し梁として軒の出を深く見せ、大きな屋根と档(あて)材を主とした古式で大らかな木割による重厚さと、反り増しをつけた垂木(たるき)による軽快な軒先の表現をあわせもった造りです。 妻側の破風(はふ)にとりつく懸魚(げぎょ)は簡素で古様であり、扉の扁平な饅頭(まんじゅう)金具や、先の開きが少ない八双金具と共に古い様式を残しています。 瑞龍寺の山門は寛文年中(1661~1672)にできたと伝えられますが、各所にみられる古い特徴から瑞龍寺以前にあった法(宝)円寺の門として建立された可能性もあるようです。一間薬医門としては北陸三県で最古の部類に位置づけられます。
地図(地図)
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