増山城内の伝承地
「又兵衛清水」
「天保11年杉野家絵図」に「字又兵衛清水」とある。それを写したと思われる。「砺波郡増山村古城跡の図」に「字又兵」とある。『越登賀三州志』『三州地理志稿』『越中遊覧志』等には、「古井」が多いことが記されているが、「又兵衛」という固有名詞は見られない。しかしながら、大正3年地元増山の土田古香によって書かれた『栴檀野誌』には、「増山城築城の際、神保氏の家臣山名又兵衛が発見した清水」だと記されている。
「馬洗池」
二ノ丸の櫓台直下東側、山間の清水を利用した池で、歴代の城主が馬の水をくんだと伝える。「天保11年杉野家絵図」に「馬洗渕」とある。
種々の地誌塁には「古井」が多かったことが記されているが、「馬洗池」に関する特別な記述は無い。『栴檀野誌』にも、本文中の記述は無く、巻頭図に「馬洗池」と記されているだけである。
「増山城跡総合調査報告書」p.321~322より曲輪の会 事務局