中地山城探訪

今日、富山市大山町にある中地山城を探訪して来ました。
大山町一帯の山城は飛騨の江馬氏の影響を色濃く受けているようだ。
神通川沿いの城生城、猿倉城、栂ノ尾城と同様、飛騨口にある為に、越中国でありながら飛騨勢の影響を受けているのは興味深い。
中地山城は三方を常願寺川、小口川、和田川に挟まれた台地上にある山城で、1560年の上杉謙信の越中侵攻時に親上杉派であった江馬輝盛が謙信の要請により築城した説と1568年に常願寺川対岸にある池田城に反上杉派である寺嶋職定が在城した時期に江馬氏が築城した説とがある。

今日は佐伯哲也氏の「越中中世城郭図面集」に掲載されている縄張り図を片手に城を見てきました。
秋晴れではありましたが、冷たい風が吹き、枯葉が舞い散る中、笹藪を掻き分けながらの散策。
今年の夏、城生城に行った時は蝉の声が響き渡る中での城めぐりでしたが、季節感を感じながらの山城歩きは楽しさの一つです。

中地山城は小規模な城郭ですが、規模の大小に関係なく縄張り図に描かれた遺構を確認しながら歩く事、これも楽しさの一つと感じました。
1~3m程度の深さの総曲輪があり(これで防御できるのかな)、主郭直下に荒々しい苔むした岩がいくつもあり(これは明らかに防御上)、同じ直下にまた「殿様の抜け穴」と呼ばれる大きな窪み(これは何だろう)があったり、主郭までの道程をクランクさせ横矢の仕掛けをしていたり、見どころは多いです。

城めぐりが終わった後、外にでておられた中地山集落のお婆さんと息子さんと話をしたのですが、
昔(お婆さんが嫁に来る前らしい)城内の畑から沢山の鉄砲や刀が出土したと話をしておられました。
地元の方と話ができるのも、山城歩きの楽しみです。
曲輪の会 長江