蕭姫プロジェクト ちょっと寄り道
先月、石川県立図書館へ行ってきた。まぁ古文書らしきものはあるが、さっぱり解らない。早速コピーをお願いし、当会のTK君に翻訳をお願いした。先日、翻訳してもらった資料に目をとおしてみた。
その中から面白い話を紹介したい思う。
(微妙公夜話 異本下巻)
利長公の姉、お庄さまは(蕭姫)中川武蔵守光重の妻であられる。ある時御城に登られたが、お帰りの際、蓋のないお茶入れを頂いた。「これを宗半(中川光重)へのお土産に」ということでお帰りになり、早速お渡しになさったが宗半が手に取ってみると荒物のようである。「さては我らを侮り、荒物をくださったのだな」と思い遠い遠州へ(小堀遠州、江戸初期の大名・茶人)鑑定に遣わされたところ「良きものに見えますが、荒くも見えます」という返事であったため、やはりその程度かと宗半はほったらかしにしてしまった。ある時、利長公は近習に「いつぞや宗半に茶入れを取らせたが、お前に茶を出したか」とお尋ねになさった。「荒物にございまして、私共に茶は出しておりません」と近習がこたえたところ、利長公はお怒りになって「とんでもないことだ、それは「金銀ぞく」というものである。(現在の「宗半肩衝」のことであろう)たとえ荒物にせよ、俺が与えたものだから、それでもてなすのが道理だろうに」と御茶一道に仲違いしてしまった。ある年御国で茶をもてなされたが宗半をお混ぜになさらなかった。宗半はそれを気にかけ,遠州が粟津に湯治に来た際、再度鑑定を請うた。すると手水を使い一覧するや「これは中納言より拝領したものでしょう。久しく拝見しておりませんでしたが実は「ほたる」という名物の茶入れです」と仰せになった。宗半は仰天したという。宗匠でも見間違うことがあるかのか。はじめ荒物とみられたことからおこり、この話が出たのである。
ここに、利長と宗半の関係が見えないでしょうか?蕭姫は夫と弟の間で苦労も多かったでしょうね。茶入れが「肩衝」とはなんとも皮肉ではありませんか。また、茶の席に招いてもらえなかったことを気にするなど、人間としての宗半が見え、親近感がわきませんか?
解りやすく翻訳してくれたT君、ありがとう♥
曲輪の会 柄崎