増山城、伝承について

先日、増山城の最後の伝承者といわれる、Tさん宅へお邪魔させていただいた。なかなか日程が合わず、やっと、やっとの念願の訪問となりました!増山城の魅力を感じるには、曲輪を巡るだけでなく、外街道を、内街道を含め、自分だったらどうこの城を攻めるかという観点で想像力を膨らませることが新しい発見になると思う。冬の間に地元の方に案内してもらい、自分の足で孫次山砦麓から雀坂を抜け、自分の足で街道を歩いてみた、それによって外街道から内街道へ続く道が複数あることが判った。Tさんのお話では、明治以降新しい道がついたことにより、失われた道もけっこうあるとのこと。「上杉謙信による侵攻はどこから行われたのか?」答えは「判らない!」とのこと、富山、婦中方面から、陣取り場を経ての侵攻、その他に放生津から和田川を使っての侵攻も考えられるのではないかということ。陸路だけでなく、海上、河川を使っての侵攻の可能性を考えてもよいのではないかと思った。実際、下山田、東保方面にも密路伝承もある。伝承については「拡大解釈が多いが事実と照らし合わせながら検証していくことが大切」と佐伯先生がいっておれた、想像力を働かせ、様々な可能性を検証していくことが真実に近づくことであると思う。Tさんは、「七曲がり側の橋はダムができる前、10M以上も川が下がっていた」といわれる。七曲がり側の切岸を想像すると、敵兵にとってはものすごい威圧感があったと思う。そのような事実も是非、ガイドに組み込んでほしいとのことであった。語るだけのガイドではなく、感じてもらえるガイドを改めて目指す必要があると感じた。伝承を引き継ぐということは、「自分の故郷に価値を見つけること」「無欲でなければいけないこと」様々のことを教えて頂いた訪問となりました。

         曲輪の会事務局 柄崎 文枝