山中城跡について(研修報告2)

国指定史跡、山中城跡(標高約580m)の城攻め
・場所:静岡県三島市山中新田

概要
 ・障子堀、畝堀など北条流築城術を集めた山城
 ・100名城
 ・小田原城の西の防衛の支城
 ・東海道を取り込んだ城
 ・築城は3代北条氏康(永禄年代1558~1570)
 ・改修は4代北条氏政
 ・西櫓、西ノ丸の増築(天正17年(1579)頃
 ・落城、廃城は天正18年(1580)

感想
 22日(火)晴:研修3日間の中日の城攻めは山中城跡から始まりました。この城跡の特徴は障子掘と畝堀、デザインの美しさを併せ持つ遺構でした。一度NHKのテレビ番組の中でみたことがあったのですが、今回訪ねて見て凄い堀の工作に驚き、よく整備され手入れされている曲輪、遺構、その背景に山頂の谷筋に少しばかり残雪を戴いた富士山との調和された景色がありました。とっても激戦があったとは思えない程の素晴らしく美しい環境にある山城でした。
 
 西ノ丸の縁まで登って来ると突然眼前に現れたのが畝堀、それが西櫓方向は延びており、さらに西櫓との接点に来ると西ノ丸と西櫓の間を仕切っている障子堀がありました。畝堀は底部を横に間隔を置いて仕切られています。一見私は、良く伸びて縦割りにしたタケノコの本体が堀で、その節が畝の仕切りみたいだなあとイメージしてしまいました。

 障子堀は畝堀より幅が広く底部は水田の棚田のような仕切りの畝がありました。これじゃ、大雨が降ったら水が溜まって大変だろうね、ここらはローム層のようだからぬかるんで、入り込んでしまったら脱出は困難。今見ているこれらの遺構は美しい土の芸術作品のように見えるが凄い遺構でした。説明板によると畝の高さ2m程、側面の斜面の高さは9m程、また、この2つの曲輪をササラ状に囲む畝堀と2つの曲輪の堺の障子堀の写真がありました。これが北条流築城の術で凄い防備施設なのだとまじまじと巧妙な縄張りに感動しました。
 
 この2曲輪では遺構を妨げないように、斜面にはツツジなど目障りにならない程度に植樹し、1本1本丁寧に丸刈りしてあり、堀などは芝を植えて崩壊しないよう保護がしてありました。手入れがとても行き届いた管理がしてありました。
 

 今回は関東地方の城跡を多く研修させていただきました。それぞれの持つ独特の築城の技術、自然地形を生かしながらの縄張りの術、技法や歴史など、幅広く研修させて頂きました。山中城跡と滝山城跡以外では教育委員会、文化財課やボランティアガイドの方に案内を頂きました。皆さまは史跡、文化財などに対してとても熱く郷土愛に燃えておられ、親切丁寧な説明を頂きました。

 私にとりましてはボランティアガイドとして見習うべき所が多々あり、自己研修の必要性を強く実感させられてきました。本当に良い機会を与えて頂きまして、感謝申しあげます。

髙木