小田原城(研修報告3)

 今回、始めて県外研修に参加させていただき、ありがとうございました。
静岡県、神奈川県、東京都それぞれ代表的な山城を現地では、ボランティアや専門の学芸員の説明を受け大変参考になりました。これを今後の活動に活かしたいと思います。

 静岡県高天神城見学では、当地ボランティアの説明で、内容では少し物足りないようにも感じましたが、ガイドとして最も大切な一つである「時間」をしっかり守り、客の希望どおりの配分で終えていることでした。ガイドは、自分の言いたいことを言いすぎてしまい、時々オーバになることが多いのです。

 また、諏訪原城跡、小田原城跡、八王子城跡では、専門の学芸員から城跡の歴史的背景から城跡の構造物を詳しく解説いただきました。また、野原学芸員からは、それぞれの当地で我々の気づかない点について、質問や解説をいただきました。


 
 特に小田原城については、次のように感じました。
 私の住んでいる上市町は、古くから呼び名で砺波郡、射水郡と並んで新川郡と呼ばれていましたが、この新川郡に縁のある小田原城は私が出かけてみたい一つの城でした。それは、平安時代末期、相模国の豪族であった「土肥氏一族」が二手に分かれ、何故か現在の広島県の安芸と富山県の滑川近辺(建長年間1249~1255・越中堀江荘)へ入ったと推定されています。20数年前、神奈川県の湯河原町の土肥一族のルーツを訪ねたことがあります。土肥氏ゆかりのお寺である「城願寺」を訪れました。新川郡では、約300年近く地方の豪族として君臨し、今も私の住んでいる滑川市、上市町、立山町などには、土肥性も多く一族の子孫とされる地元では「土肥さん」と呼ばれ、広大な山林を保有する土地所有者も上市にはいます。また、山城では、茗荷谷城、千石山城、そして、弓庄城、堀江城、郷田砦、西養寺砦など数多くの史跡があります。

 土肥一族は、小田原城での関係はないようですが、源頼朝との関わりなど相模の国での活躍した子孫が、異国の地へ移住してきた想いを感じるのでした。

 小田原城を解説しているボランティア組織がしっかりしており、ボランティア養成講座をみても、年間講座数は37回、受講料は、25,000円、小田原市以外からも多く受講しておりその人気の高さが窺えます。また、ジオパークガイドも兼ねており、地球学を学んでいます。受講終了後には、実技、ペーパーなど卒業試験を実施、卒業後フォローアップ研修を3年間実施しガイドスキルアップに努めています。
また、運営費を賄うため企画ガイドを12本、小田原市とは観光課など所管別に契約し運営を確保しています。

 いくつかのコンテンツもあるとのこと。特に二宮金次郎は小田原出身ということで話題が尽きないようです。

 小田原城の城内見学では、建物は創建時のものではないものの、案内いただいた諏訪間小田原城館長からは、馬出門、銅門、常磐木門などの工事にそれぞれ数億円をかけて復元、材質は台湾ヒノキや標高の高いところで育ったラオス材を使用、石垣と柱の接触点は、石垣の凸凹に合わせて作ってあるとのことです。天守閣では、北条氏5代100年の歴史を中心に紹介している。

 また、城内の見学の後、小田原城の総構9キロの一部を約1時間半曲輪や堀切など城創建時の様子を見学説明を受け、見たことのない大きさや規模に圧倒されました。戦国時代の力を見せつけられました。

志村

小田原城にて