佐伯哲也氏講演会「富山市の山城物語」

今日、猪谷関所館で開催された佐伯哲也氏の講演会「富山市の山城物語」を聴講してきました。
佐伯氏は12/18(日)の公開講座「縄張りから読み取る増山城塁群の歴史」の講師でもある。
本日の内容は富山市にある47の山城を地域別に分類され、地域性から読み取れる山城の説明がありました。
講演を通し、山城を見る視点、楽しさをいくつか説明され、ボランティアガイドに役立てる事ができそうなので、ここで紹介したいと思います。

・城を繋ぐ情報伝達ライン
 富崎城~長沢城~増山城(山道ライン)
 富崎城~高山城~大道城(山田川沿いライン)
 これらの各城に「鐘突堂」と呼ばれる一角があり、城から城へリレー方式で情報を伝達する手段として鐘が用いられたと推定される。「鐘突堂」の間隔は2km弱の距離。迅速に情報伝達するにはこの方法が効果的だったようだ。

・城と城との関係性
 山城に登った時、見える風景に着目する。
 周辺に山城が見えないか、そこから城と城との関係性(役割)が読み取れる。
 猿倉城から城生城、栂ノ尾城が見下ろせるが、猿倉城は顕著な遺構が存在しなかった事から「繋ぎの城」と推定できる。

・遺構の二次利用
 江戸期以降、城郭遺構の一部が別の目的で二次利用されている事が十分考えられる。
 神通川沿いの大乗悟山城、蟹寺城には土饅頭がある。蟹寺城の土饅頭は主郭中央にあり、城にとっては邪魔物であり、あまりにも不自然である。
 後世において、周辺集落の信仰上のシンボルだったのかもしれない。

講演が終わった後、関所館の事務所に行き、佐伯氏に面会する事ができた。
12月の増山城の講演会に話が及び、内容について少しお話を伺う事ができた。
次回の講演が待ち遠しい。

曲輪の会 長江