増山城戦国祭り 城攻めウオーククイズラリー(6)

神水鉢➂
前回、前々回と二ノ丸の神水鉢について書いたが、またまた神水鉢

神水鉢用途

 神水鉢の用途についてはいろいろの説がある。
まず、前回の投稿の安カ川恵子先生の古文書資料から見てみよう。
  ➀旗台石
  ➁用途不明
  ③手水鉢のごとき石
  ④神水鉢(月時計)
などの用途を記しているが、内容的には「旗台石」多い。

次に『増山城跡リーフレット」』を見てみよう。
同リーフレットでは神水鉢の用途について「用途は不明で手水鉢、旗台石、塔心礎など諸説がある」として3説を並べている。
  

では、地元研究者はどう見ているのだろうか

・旗台(旗竿)石説 老松邦雄さん
・塔心礎説    佐伯哲也さん

まずは老松さん旗台(旗竿)石説

老松邦雄さんは「増山城最後の城主中川宗半(光重)と蕭」において
 「増山城の主郭通称二の丸には、中央を丸く抉った「神水鉢」と呼ばれる石が置かれている。最近の城郭研究家高岡徹氏の研究によると、肥前名護屋城周辺にこれによく似た石がいくつも残されており、現地では旗竿石と呼ばれているように、おそらく軍旗や馬印を立てるために使われた台石であろうとされている。前田氏の家屋陣屋跡にも二基残されており、増山城の神水鉢は名護屋での習わしを宗半が持ち込んだものと考えられている。宗半不在の増山城を守った蕭に対し、名護屋で流行した旗立ての行事を宗半が披露した、としたら推測が過ぎるであろうか」

唐津城 旗竿石 (インターネットから)

 佐伯哲也さんの塔心礎説は次回です。

本保澄雄