増山城の桜 今が満開

 増山城。冠木門後ろのソメイヨシノは今が満開。
この場所は日陰になるのか他の場所のソメイヨシノよりも遅れて満開。今日明日あたりがピークか。

・願はくは 花の下にて 春死なん その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)の頃  西行法師
 西行法師が生前に詠んだ歌。「できれば2月15日頃満開の桜の木の下で死にたい。」 驚いたことに西行法師はこの歌の通り陰暦2月16日、釈迦涅槃の日に入滅した。
 西住塚(さいじゅうづか) 西住は西行法師の愛弟子。砺波市庄川町三谷の出身。西行・西住の二人が北国への旅の途中,西住の故郷三谷村まで来たとき西住が病を発し死亡。西行は塚を築きその上に石碑を建て桜を植えて弔った。石碑(代石)には西行・西住それぞれの歌が刻されている。砺波市指定史跡。 当時の石碑は慶長16年(1611)に前田利長が大清水(現高岡市)に御亭を造ったとき、誤って持っていかれたまま返されず、現在は永願寺の境内にそれが建っている。

・「春高楼の花の宴。めぐる盃かげさして・・・」
 御存じ滝廉太郎作曲の「荒城の月」 滝廉太郎は父親の転勤により、小学校1~2年生頃を富山で過ごした。このことから滝廉太郎作曲の「荒城の月」は
増山城と同時に続・日本100名城に選定された富山城をイメージしたものではないかともいわれている。富山城西側に歌碑が設置されている。

本保澄雄