弓庄城跡

土肥氏ゆかりの地、弓庄城跡を訪ねてきた。
「北陸を彩った武将たち-中近世の北陸-」塩 照夫著を読んでいたら、弓庄城と土肥氏の事が書かれてあったので、訪ねてみたくなった。
白岩川近く山里の田園地帯にある弓庄城跡。今は水田が広がり往時を偲ばせる遺構がなかったが、こののどかな地で土肥一族は繁栄を築いた時代もあったと言う。
強大な勢力、上杉、織田の狭間にあり、最期は佐々成政に降伏し、城を明け渡した。
今から約450年も昔の事。隔世の感があるが、このような敗将の歴史を知り、現地を訪れると何か寂しさを感じる。
弓の里歴史文化館には遺物である櫛、将棋の駒、煙管、土師器、五輪塔などが展示してあった。
そこで弓庄城の詰城の柿沢城(山城)が近くにあることを知り、場所の見当をつけ、付近に行ってみると「城山の湧水」の看板があり、何人もの人が水を汲みに来ていた。そう言えば、かなり随分前に父親とこの場所に来た事を思い出した。
柿沢城はここの上部に違いないと思って、そこに休んでおられた地元の方に尋ねたが、城がある事は全然判らない様子。弓の里歴史文化館に戻り、確認すると思った通り、柿沢城がある場所だった。他、詰城として茗荷谷城があり、堀江系の城として堀江城、郷柿沢館、稲村城、千石山城がある事が解った。ますます楽しみが拡がるばかりである。
曲輪の会 長江