しょう姫ちゃん

 第3回戦国祭りのポスターのイメージキャラクターになっている“しょう姫ちゃん”について少し紹介しましょう。

 中川宗半(光重)の妻蕭(しょう)は、宗半生誕の翌年、永禄6年(1563)に生まれた。父は加賀百万石の祖前田利家、母はその正室まつ(芳春院)で第一子長女幸、第二子長男利長に次ぐ第三子である。
 中川家に伝わる伝承では、蕭姫は非常に美人で、豊臣秀吉が側室として望んだが果たされず、その際秀吉から蕭姫に贈られた玉が中川家に伝世していたという。
 旧砺波郡内には、蕭が発給した文書が三通残されている。一通は砺波市太田の加賀藩初期十村役金子家に、あと二通は高岡市の社家榊原家に残されているものである。いずれも当時光重不在中蕭姫が差し出したものとされている。
 宗半は文禄の役による名護屋滞陣またはそれに続く京都滞在中で、不在の多い宗半に代わり妻蕭姫が増山城を守っていたのかもしれない。
 蕭は前田家では、住んでいるところに因み増山殿と呼ばれていた。蕭姫が没したのは慶長8年(1603)で享年41歳であった。

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