戦国時代のトイレ

 お城のトイレ事情が気になったので少し調べてみた。
 戦国時代、城にトイレを造る場合どんな場所を選んだのだろう?
 当時、トイレを「雪隠(せっちん)」と呼び、排泄物は「不浄な物」として武士にもとても忌み嫌われていたので、城郭では「警備が弱い場所」「本丸」の角辺りに幅1メートル・深さ80センチ・長さ10メートル程の溝(側溝)を掘り、そこに排便していたという。    
 戦の時、近くまで攻めてきた敵側武将は、無意識に雪隠をさけようとするので、敵の大まかな突入進路が分かり、防御側としては応戦体制が事前に準備できるという利点があったようだ。 
 また、押し寄せてくる敵に向け、溜まった糞尿をぶっ掛けたということも… 排泄物も武器(?)にするなんてすごいですね。
 乾燥した遺跡では、雨が降れば水が染み込み、日が照ると干上がるという、延延と繰り返される環境が、トイレ土壌を形成する糞便の主成分となる有機遺物の保存に最も悪いことから、堆積物(糞便)は残りにくく、トイレの発掘例は今でも稀だという。
 何故なら、何のために掘ったのか用途不明の穴が多い中で、糞便堆積物が消えていては、それがトイレの穴であったとしても他の遺構との区別がつかないわけだから。
 そんな希少価値が、備中松山城の、二の丸・本丸に「雪隠・側溝」として残っているというから、一度見てみたいものだ。
曲輪の会事務局